智韻寺の縁起

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智韻寺は平成二年三月に東京代々木に開山した真言宗 智山派のお寺です。

当山の御本尊である延命地蔵大菩薩は、もと天文元年(1736)御殿場竹の下の宝鏡寺に祀られていました。第八世大忍僧正が東京麹町に奉還し、その後、昭和十三年(1938)に松戸証誠院に御安置されました。大隅智与師の先々代である慈眼院さまが深くご信仰され、人の口から口へと広がり、この霊験あらたかなお地蔵さまのもとに多くの人々が集まりました。

その後、智与師のご尊父により現在の慈眼山証誠院が建立されました。昭和三十三年一月より智朝もこのご法縁に与り、十二年目の一月に御分身を代々木教会ご本尊としてお祀りさせて頂いております。

その昔、聖徳太子夢殿建立の折、その天井板をどこから選ぶかと思案されました時、夢のお告げで「駿河湾の水際に杉の大木あり、それより取れ」とのお示しをうけて、早々に使者をお遣しになりますと、正しく海水に根を洗われる様にして杉の大木が茂っていました。すぐに伐りだされ、あともう一息という所で潮が満ち、日も暮れて来ましたので、明日またということになりました。翌朝早々に行ってみますと、どうしたことか全く伐り口が塞ってわからず、初めから伐り直すことになりました。またもう一息という所で昨日と同じように陽は落ち、潮が満ちて作業にならず、やむなく明日に延ばしました。そして、三日目もまた同じことの繰り返しで、余りの不思議さに何かがあると祈願されますと、

「竹の下、竹とはいえど裏は杉、元木は地蔵大菩薩」

とお声がありました。そこで初めてこれがお地蔵さまの宿れる木と知り、ご挨拶し直して伐り始めますと、すぐ伐ることが出来ました。

その根元の一部を聖徳太子御自ら彫られましたお地蔵さまが、今に伝わるご尊像でございます。

お地蔵さまは常に私どもに「和」を強調せられ、それがお訓えの根本のように諭されます。聖徳太子が大化の改新をされた時、第一条に「和を以て貴しとなす」と仰せられましたが、このお地蔵さまの縁起をお聞きしますと頷けるようにも思えます。

和することの悦び、和することの大いなる力を私どもは屢々知らされますが、和することの難しさをなお痛感いたします。古今東西、人ある処これは永遠の課題であるうえに、複雑な現代社会に置かれた私どもにはなおのこと、この和ということの徹底こそ、社会生活の鍵と思われます。しかしながら、流れはかえって個人に埋没して我利の亡者が殖えつつあります。

いま、信仰ということを真剣に考え、心と身体で受け止める時、慌しい生活の中に安らぎを覚えます。和ということの意味が分かり、事実輪となった時、私たちのまわりは好循環となって動き出すでしょう。そして、それは今まで味わえなかった悦びであるはずです。現実の人間関係の輪も大切ながら、私どもは見えない世界との交流に意味を見出します。そのひとつの形が供養であると言えましょう。先祖供養により、断絶された核家族の空しさに大きな答を見出すことができるように思えます。

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